毎週 木曜日発行!!  平成13年 11月1日創刊

週刊 上原直彦
「浮世真中」が本になりました!
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週刊上原直彦「浮世真ん中」が本になりました!
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2006年 11月30日
連載 エッセイ
      「浮世真ん中」(265)

*<風に吹かれて・高速道路>その10・南風原IC編

 沖縄自動車道を北から南へ。
 スタートしたころは、真夏の名残があった。しかし、南風原<はえばる>南ICを目前にした今、沖縄も「くもり・雨」をくりかえし、真昼は23.4度を保っているものの、走る車が切る風は、涼しさを通り越し、ドライバーも半袖にベスト、あるいは薄手のジャンパーをひっかけている。
 那覇ICにも出ず、西原IC・西原JTCを後にすると、南風原ICに達する。

 ♪白雲ぬ如に見ゆるあぬ島に 飛び渡たてぃみぶさ羽ぬ有とてぃ
 <しらくむぬぐとぅにみゆるあぬしまに とぅびわたてぃみぶさはにぬあとてぃ>
 ついつい、島うた「白雲節=しらくむぶし」が、鼻うたで出る。南風原ICのイメージパネルが「鳥人」だからだろう。

 歌意=海の彼方をみると、愛する人が住む島が白雲のように水平線に浮かんでいる。この身に、鳥のような羽があったなら、ひとっ飛びして行き、愛を語りたい。

 〔鳥人〕
 風になりたい。雲になりたい。蝶になりたい。そして、鳥になりたい。誰もが願望する夢である。
 兄ウィルバー、弟オービルのライト兄弟は、広いアメリカの空を見て(鳥になりたい)と発想。1903年、遂に人類初の動力飛行を成した。
 沖縄にも、同じ思いを抱いた男がいた。
 安里周当<あさと しゅうとう>である。生没年月日は定かではないが、1800年前後の人物とされている。
 「年月を要する中国や大和への船旅の往復を、空を飛ぶことで短縮できないものか」
 この思いを凧にヒントを得た安里周当は、飛翔体に付けた矢弦を足で上下させることによって浮力とし(鳥になろう)としたのである。始めは美里間切泡瀬<現・沖縄市>の海岸で飛行を試みたが失敗。その後、移住した南風原で試行錯誤をくりかえし、再び実験。
 しかし、滑車車輪が付いているわけでもなく、したがって、地面からは飛び立つことはできない。凧よろしく、長尺の命綱を妻に任せ、南風原間切津嘉山<つかざん。現・町>の高台から飛んだ。
 思惑通り機体は空高く舞った。が、妻が握る命綱の長さ以上に上昇したため、バランスが保てず、急降下してそのまま落下した。
 この機体の図面や部分品、工作に使用した道具等は、大正時代まで残っていたが、白蟻被害を受けて、焼却処分されたらしい。

 安里家は、首里王府お抱えの花火職人。「花火安里=ふぃーはな あさとぅ」の家名があり、
 「与那原の浜の潮は引いても、安里家の富は引かない。減らない」
 と、言われるほど裕福。空を飛ぶ夢の実現にかける資金には、事欠かなかったようだ。
 安里周当にも「飛び安里=とぅび あさとぅ」の異名が付いている。

 空を飛びたい。この夢を見た人は全国各地にいた。
 日本最初の(鳥人)といわれる岡山県の表具師・幸吉が飛んだのは天明5年<1785年>とあり「飛び安里」も、ほぼ同じ頃、空を舞ったことになる。
 また、
 1790年=秋田県仁井田の農夫は、カラスを真似て翼を作り、崖から飛んだ。
 1830年=鳥取県米子の某は、鳩にヒントを得て松の木から飛んだ。
 1840年=愛知県御油・貸席<遊郭>の主人は、海岸の櫓から飛んだ。
 などなど。人間が空を見上げて(飛びたい)気になった話は多々。

 高速道路を利用した現時点での那覇空港までの最短距離は、那覇ICとされているが、南風原ICを経て、2008年2月に完成予定の豊見城IC〜那覇空港南ICが開通すると、この那覇空港自動車道経由が最短距離になる。
 新設のICのイメージパネルについては現在(検討中)とのことであるが、所在地の歴史・文化を語ってくれるそれであってほしいものだ。


 「風に吹かれて・高速道路」を走ってきたが、そうそう(風に吹かれて)もいられないニシカジ<北風>の季節になった。シリーズもここらで締めて、車を帰館の途に向けることにする。

 次号は2006年12月7日発刊です!

2006年11月分
週刊上原直彦(265)<風に吹かれて・高速道路>その10・南風原IC編
週刊上原直彦(264)<風に吹かれて・高速道路>その9・那覇IC編
週刊上原直彦(263)<風に吹かれて・高速道路>その8・西原IC編
週刊上原直彦(262)<風に吹かれて・高速道路>その7・北中城IC編
週刊上原直彦(261)<風に吹かれて・高速道路>その6・沖縄南IC編

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