毎週 木曜日発行!!  平成13年 11月1日創刊

週刊 上原直彦
「浮世真中」が本になりました!
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週刊上原直彦「浮世真ん中」が本になりました!
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2006年 7月6日
連載 エッセイ
      「浮世真ん中」(244)

*<木登り賞・復帰記念メダル>

1通のメールが入った。週刊「浮世真ん中」宛である。
 「こんにちは。詳しくは覚えていないのですが(祖国復帰おめでとう)のメダルを小学校時代にいただきました。それを渡してくれた方が(このメダルは10万円以上の価値がある)と、おっしゃっていましたので子どもながらも私は(高価なものなんだ)と思い、保管してきました。この(祖国復帰おめでとう・内閣。昭和47年5月15日)と刻まれているメダルは、ほんとうに10万円の価値があるのでしょうか。県教育委員会の倉庫には、同メダル10万個が眠っていると(浮世真ん中)に書いてありましたが・・・・。価値はあるのでしょうか?。ずっと気になっています。返信いただければ。=玉寄美奈=」

 発信アドレスを頼りに連絡をとり、すぐに逢った。
 玉寄美奈さんは、旧姓又吉。清涼飲料水メーカーに勤務する男性と、今年6月1日に結婚したばかりの23才。彼女は医療関係の仕事をしている。
 「沖縄市美里の美東小学校3年生のころ。そう、12、3年前のことです。夏休みにクラスメートたちと、これも定かではないのですが、少年自然の家・・・・とやらへ行きました。そこで木登りゲームをやり、1番になってもらったのが、この復帰記念メダルなのです」

 復帰記念メダル
 総理府では、昭和47年5月15日付で屋良主席宛に、5月15日の復帰の日に市町村教育委員会を通して、沖縄の小、中校児童約20万人に復帰記念メダルを配布するよう正式に通知した。メダルは銅製。直径3.2センチ。裏側中央に国旗を描き、上辺に「祖国復帰おめでとう」、下方には「昭和47年5月15日」を刻み、国旗の下に「内閣」の文字。表は「守礼門」を中心として、周囲に海をあしらった波形がデザインされている。ところが「核付き返還!屈辱の日」として、沖縄教職員組合は配付に反対。各分会に対しても、配布に非協力体制をとるよう指示。当時の児童生徒は小学校233校、12万449人。中学校149校、7万1144人。宮古、八重山、本当北部地域では、校長を通して配られたものの、那覇や中頭郡では現場の反対で約10万個が宙に浮いたまま回収された。那覇の場合は、教育委員会が受け取りを拒否した。この10万個のメダルは教育委員会の倉庫に今なお眠ったままで、取り扱いに苦慮している。<昭和56年5月15日。琉球新報>
 
 この記事から25年経った今、伝え聞くところによると(宙に浮いた)メダルは、その後、青年の家や少年自然の家など公的施設に配布されて、そこで開催されるイベントの賞品として利用されているそうな。
 玉寄美奈さんが木登り1等賞でもらったのは、これだったのである。
 「結婚して沖縄市美里の実家から、彼が住む南城市佐敷・津波古に引っ越すとき、このメダルは処分しようかと思ったのですが、たまたま、週刊・上原直彦「浮世真ん中」の文章を思い出して、取っておきました。メールなどして迷惑だったでしょうか」
 玉寄美奈さんは、ほんとうにすまなさそうな面持ちで話していたが、とんでもない。若い人(復帰前後)を語ることができて、ある種の学習をしたのは私であった。
 昭和20年小学校1年生の私。異民族支配の沖縄を経験し、復帰運動、反戦運動の真っ只中に身をおいて過激に生きてきた世代にとっては、日本復帰はいまだすっきりしないまま、腹の中でくすぶっている。

 再会を約束した別れ際に、玉寄美奈さんは言った。
 「わたしにとっては(木登り賞)のメダルですが、重く深い沖縄の戦後史が刻まれていたのですね。捨てないでよかった」
 「それで、このメダルはどうします?」
 「そうですね。いままで以上、大切に保管しておきます。そして、いずれ子を産み、その子が木登りできるようになったら<賞>として贈呈します。いまは多くのことは知りませんが、いや、少なくとも戦後の沖縄を勉強して子どもに語り聞かせます。それが私の平和運動かも」
 彼女は(カッコいいことを言ったみたいッ)と、明るい笑い声を残してくれた。

 メダルではないが、かつて皇室の御成婚記念の10万円硬貨を入手したことがあった。しかし、10日を待たずお札に替えた。なにしろ、10万円硬貨ではバス、タクシーも乗れなかったからである。

 次号は2006年7月13日発刊です!

2006年7月分
週刊上原直彦(247)<念仏踊り・エイサー>
週刊上原直彦(246)<エイサーのころ>
週刊上原直彦(245)<頼むぜッ・シーサー>
週刊上原直彦(244)<木登り賞・復帰記念メダル>

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