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週刊 上原直彦
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2005年 10月27日
連載 エッセイ
      「浮世真ん中」(208)

<大きな秋・見つけた>

 ひと群れ、ふた群れ・・・・。
 9月末から、数度に分かれてサシバが飛来。羽を休めては、暖かい南の国へと渡って行く。その渡りがくり返されるころ、新北<ミーニシ。北よりの風>が吹きはじめ、沖縄も秋を感じるようになるのだ。
 長袖を着るにはまだ早いが、かといって薄着でいると風邪をひきやすい。その風邪を鷹風邪<たか はなふぃち>と称し「鷹が北から運んできた風邪」としているが、それは人間の勝手な理屈、不注意によるもので、原因の責任を取らされては、鷹にとって(迷惑この上もなく、たまったものではない)であろう。
 タックィーッ!クックィーッ!と鳴いているあの声は(冤罪だ)と、訴えているのかも知れない。
 サシバは、ワシタカ科の属する中型の鷹。シベリアや中国北部で繁殖するが、厳しい冬を越すために、10月初めの寒露のころ沖縄を経由して、さらに南の中国南部やインドネシア、フィリピン、ニューギニアなどへ渡る。
 午前中に飛来するサシバは、羽を休めることもなく上空を通過するが、午後のそれは、目的地までの距離と到着時間を計算したかのように、琉球松やモクマオウの木の枝で休息する。食するのは蛇、トカゲ、蛙、鼠、バッタなど。飛来の年によって群れの数は異なるが、総合すると1シーズン数千羽、数万羽という記録がある。
 沖縄を飛び立ったサシバの群れは、早いもので2日後、大部分は10日余でフィリピンに着くという。
 戦前は、本島中、北部の森林地帯、そして、那覇市の首里城近郊のハンタン山、港近くの奥武山<おうのやま>にも飛来した。そのさまは(空が黒くなるほどだった)と書いた先人もいる。
 少年たちは、昼間のうちにサシバの止まりそうな木を見定め、夜になるとそっと近づいては、鳥モチで捕獲した。また、頭にツタや芋カズラを乗せて松林などにひそみ、サシバが止まったところを素手で捕まえたりした。それも、サシバが休息する樹木があったからだが、その自然も戦火で焼失。さらに、戦後の開発も手伝って、沖縄本島では年々、彼らの渡りを見る機会が少なくなっていた。
 しかし、今年はちがった。
 10月17日午後5時過ぎ。那覇市首里末吉公園上空に、サシバ100羽余の舞いが見られたのだ。周辺の住民、散歩中の人、観光旅行者も足を止め、歓声を上げて「夕暮れの滑空ショーを楽しんでいた」と、沖縄タイムス紙は写真入りで報じている。専門家も「本島の市街地で、これだけの群れが見られるのは珍しい。明日早朝には一斉に飛び立つだろう」と、コメントしている。
 市街地にも、ようやく(みどりが甦った)証拠と言えよう。
 末吉の森は、末吉宮、俗に「杜檀」と言われ、琉球8杜のひとつ。尚泰久王時代<1450〜1456>、天界寺・鶴翁和尚が開いた聖地。今では那覇市唯一の樹林地とされているが、ここも日米戦争の被災地で極端に樹木が減少していた。戦後、文化的保護地として行政及び地域住民の努力があって、現在の樹林地になったのである。
 かつては、毎年見られたサシバの飛来も、久しくなかったのだが、今年ははっきりとサシバの群れを確認することができたのだ。このことは、人間が己の手で失った自然を、その重要性に気づき、反省をもって努力すれば取り戻せるという証と言える。

 また、国内では石垣島だけに自生しながら、絶滅危惧種に指定されているヤエヤマシタンの新たな自生が石垣市野底で45年ぶりに確認されている。
 シタン<紫檀>はマメ科の常緑小高木。インド南部スリランカに自生。高さ約10m。材質は堅く、建築、器具材として珍重されている。
 ヤエヤマシタンも、かつては健全な繁殖をしていたが、建築材料や家具用材に乱伐。減少の一途を辿っていた。それが、石垣市教育委員会・平久保のヤエヤマシタン保護増殖検討委員会の地道な活動によって、新しい命の誕生をみることができたのである。

 サシバが市街地に帰ってきた。
 ヤエヤマシタンの新たな自生が確認された。
 「人間の身勝手で1,2年で破壊した自然を元通りにするには、100年かかる」
そんなことを思う、この秋である。

 次号は2005年11月3日発刊です!

2005年10月分
週刊上原直彦(208)<大きな秋・見つけた>
週刊上原直彦(207)<村遊び・村祭り>
週刊上原直彦(206)<東風平の龕祭り>
週刊上原直彦(205)<沖縄口を楽しもう>

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