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週刊 上原直彦
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2005年 9月29日
連載 エッセイ
      「浮世真ん中」(204)

 <秋風の中の歌碑>

 「門たんかー」は、知名定繁作品200余曲を代表する節名である。

 ♪門たんかー ちゅら二才小やしが 七門八門越ちん 縁どぅ選ぶ
 <ジョウたんかー ちゅらニーシェーグァやしが ナナジョウ ヤジョウ クちん ヰンどぅ いらぶ>
 意訳=(この場合、門は人家。タンカーは隣家。向かいを意味する)
    女童は言う。隣家の美形の青年は、アタシを口説くけれども、美形だけに惚れようか。否である。七門八門越えても、つまり、家は遠く離れていても、深い縁で結ばれた男を選ぶワ。恋は愛は縁が最優先ヨ。

 その情歌「門たんかー」の歌詞を刻んだトラバーチン石を左右にして、知名定繁顕彰碑が建った。2005年7月17日のことである。場所は生誕の地。

 知名定繁は、大正5年<1916年>、具志川村大田<現・うるま市川田112番地>に生まれた。県下で筆頭に上げられる毛遊び・歌遊びの盛んな地だけに、幼少の頃から、歌三絃に長けていた。初等学校高等科を卒業、家業のサトウキビ作りをしながら10代を過ごすが、夜ともなれば近隣の若者たちは、村はずれの通称「かんとうしー」界隈に集まり、知名定繁を中心とした三絃自慢、歌自慢たちが青春を謳歌していた。今風に言えば、夜毎の野外ライブである。
 しかし、時は昭和10年代に入り、日本は戦争へとまっしぐら。沖縄は「全国一の貧乏県」と言われ、若者たちは男女問わず、関西方面の紡績工場などへ出稼ぎに行く。知名定繁もその一人であったが、それは彼にとって運命的な意味を持つことになる。普久原朝喜<1903−1981>との出会いがそれである。普久原朝喜は、すでに大阪に住居を構え、昭和2年、琉球民謡の蓄音機盤を製作、販売をする一方で、作詞作曲を精力的に成した人物。同郷のよしみで知り合った二人は、互いに刺激しあって演奏活動をする傍ら、創作に勤しんだ。ここで、知名定繁の歌三絃の資質は、一挙に開花したと言えよう。
 昭和32年帰郷。
 知名定繁は、具志川民謡倶楽部を結成して、後進の指導にあたる一方、琉球筝曲、殊に「古典音楽湛水流筝曲工工四」の編纂に深く関わり、その発刊の序文に古典音楽家池宮喜輝師は、概要次のように記している。
 「昭和15年、湛水流師範中村猛順、古典音楽研究者世礼国男共著「声楽譜付工工四」の出現をみたが今度、さらに中村猛順、筝研究家知名定繁両氏によって、湛水流筝曲工工四の上梓をみたことは、同流保存発展上、欣快に堪えない。中村・知名両氏は、筝曲工工四の原案が出来上がるや、その調閲を池宮喜輝、幸地亀千代両氏と演奏。最良と判断し発刊に至った」
 しかし、この序文が証明する湛水流筝曲における知名定繁の功績については、意外に知られていない。
 知名定繁作品は一般に「定繁ぶし」と言われ、弟子筋のみならず、心ある歌者すべての唇に乗っている。また、人をそらさない人柄、語るような歌唱は聞く人の情感を高めてやまないものがある。享年78才。平成5年<1993年>7月24日に逝った。
 歌碑建立に際し、歌碑期成会の依頼を受けて、私も一文を寄せた。それが顕彰碑の左隣りに刻まれている。生前、多くのことを教えていただいた知名定繁氏とは言え、光栄この上もない。その一文。
 歌は祈りに始まった。
 琉球が国の形態を成したころ、まだ、神の力を借りなければならなかった。人々は神との一体感を切望し、歌にすべてを託してきた。したがって、この島の歌は地上の人間と天上の神との間にある唯一の言葉と言えよう。
 神とは天・地。そして、そこにある生きとし生けるものをさし、人々は常に神と対話しながら命を全うしてきた。やがて祈りは、具体的に祭祀音楽となり、諸行事の中心に置かれた。さらに時を経て三絃が定着。それは、ふたつの流れになって、いまに続いている。ひとつは、宮廷に入って「古典音楽」となり、片や庶民の生活に密着「里うた・島うた」となって、人々の喜怒哀楽を写し出してきた。
 琉球は、洋の東西からの絶好の中継地にあり、さまざまな異文化が入ってきた。人々は戸惑いながらも、それらを受け入れてきた。そして、それらを自分たちの実生活に活用できるよう見事に再創造してきたのである。いかなる外的圧力も、表面上は受け入れながらも、根源にある琉球の魂だけは喪失せず、むしろ、前向きに「蘇生」することを忘れなかった。この精神力は、唐ぬ世・大和ぬ世・アメリカ世を経ても色褪せることなく、今日に生きている。
 いかに世の中が複雑化の変遷をしようとも、大自然の神との一体感を願望しつつ、先人たちの遺産「祈りとしての歌」を忘却しない限り、この島の「うた」は永遠である。

 次号は2005年10月6日発刊です!

2005年9月分
週刊上原直彦(204)<秋風の中の歌碑>
週刊上原直彦(203)<キャンパス滝・その滝壺>
週刊上原直彦(202)<粋人・才人・川田松夫師>
週刊上原直彦(201)<総選挙・総評論家の季節>
週刊上原直彦(200)<牛と少年>

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