毎週 木曜日発行!!  平成13年 11月1日創刊
週刊 上原直彦 「浮世真中」が本になりました!
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週刊上原直彦「浮世真ん中」が本になりました!
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2005年 5月26日
連載 エッセイ
      「浮世真ん中」(186)

<時代・世代・年代>

 RBCiラジオ局のフロアはにぎやかである。
 私のような年長から、40代50代の管理職者、現役バリバリの20代30代のスタッフをはじめ、言葉通りの老若男女が放送に取り組んでいる。
 時には、忙中閑ありでアシスタント、タレント連が円形テーブルにつき、歓談することもある。
 CM制作に情熱を傾けている平良幸乃さん<25才>も同席しての歓談の際、私は驚愕と反省を思いっきり強いられることになった。それは、石原裕次郎に始まる。
 一昨年の6月。島うた・札幌ライブに出かけたついでに小樽まで足を伸ばして「石原裕次郎記念館」へ行ってみた。昭和30年代、まだ20代だった私は、どっぷり裕次郎に染まっていた。頭は慎太郎刈り、ちょっと引きずるような歩行を意識し、上目づかいの顔をつくり、うたう歌も「俺は待ってるぜ」「錆びたナイフ」。同年代のディレクター仲間と日活ダイヤモンドラインを気取っていたもんだ。

 「いまさらッ」と、テレながら館内を回っているうちに私は、YUJIROマークのピンクのシャツ、太めのベルト、黒ジャンパーが入った買い物袋を持っていた。
 それほどの入れ込みであるから、円形テーブルでの歓談の席上、その日着けていたYUJIROシャツのマークを指して、
「そのシャツ、ブランドものですか」
平良幸乃さんがそう言ったときは、嬉しかった。そして、(青春を取り戻そう)とばかり、知っているかぎりの裕次郎ばなしを始めた。しかし、彼女はイマイチのってこないのである。それどころか、理解度が淡い表情である。私は言った。
「幸乃さん。石原裕次郎は知っているよね」
が、彼女の口をついて返ってきた言葉に、愕然とするのである。
「話には聞いたことが・・・あるのですが・・・よくは・・・知りません。あの・・・病院の屋上から、誰かに向かって手をふっていた人・・・ですよね」
 我らが裕次郎も、病には勝てず、入院・大手術はしたが、あの夏の日、逝ってしまった。昭和62年7月17日現在、幸乃さんは8才。(病院の屋上から手をふっていた人)も、無理からぬことだ。
 「われわれ大人は、自分の経験や知識の視点で若者と会話をしてはいないか。自分が普通に知っていることは、若者も普通に知っていると思い込んではいないか」
 これは、幸乃さんの発言を受けての反省である。

  

 大人は言う。
 「ヘソ出しルックは、性犯罪を誘発する。健全なる生活指導をしよう」
しかし、当のギャルたちは言う。
「近ごろのオジさんたちは、わたしたちをジロジロ見る。性犯罪に走らなければよいが・・・」
 いずれの視点も正しいのではないだろうか。
また、日本の戦争、沖縄戦について語る体験者に対して、若者は憤然と言い放った。
「どうしてあの時、大人たちは反対運動を起こして、戦争を阻止しなかったのかッ」
日本の「天皇の時代」は、いまだ、正しくは語り継がれていない。

 憧れを抱いて見ていた映画の大スター阪東妻三郎、片岡千恵蔵、大河内伝次郎。花井蘭子。原節子ら。あちらのゲイリー・クーパー、アラン・ラッド、ランドルフ・スコット。デボラ・カー、モーリン・オハラ、ジーン・ピータースの話は、10代20代30代の若者には、もう通じない。しかし、あきらめまい。往年のスターについては、大人が大いに語り、モーニング娘のことは、彼らから情報を得よう。(教えたり教えられたりで世代の格差を解消しよう)なぞと言ったら「物知り顔の大人」すぎるだろうか。

 その日の歓談は、政治に及び、
 「敗戦後すぐに、米軍が創立した琉球政府の任命初代首席は比嘉秀平氏。復帰後、公選された知事は屋良朝苗氏。現知事は稲嶺惠一氏。戦後、総選挙での初の首相は吉田茂。復帰時の首相は佐藤栄作。現首相は小泉純一郎・・・」
 と、高尚になりつつあった。しかし、平良幸乃さんにスタジオからの呼び出しがかかり、それを機に歓談は散会になったが、立ち去り際の彼女のひと言もインパクトがあった。
「わたしの友だちにも、吉田茂はいますよ」

 次号は2005年6月2日発刊です!

2005年5月分
週刊上原直彦(186)<時代・世代・年代>
週刊上原直彦(185)<賑やかに・華やかに国民葬>
週刊上原直彦(184)<放送余話・つたない・・・琉歌>
週刊上原直彦(183)<初老たちの少年期>

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