毎週 木曜日発行!!  平成13年 11月1日創刊
 週刊 上原直彦 「浮世真中」が本になりました!
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週刊上原直彦「浮世真ん中」が本になりました!
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2004年 12月30日
連載 エッセイ
      「浮世真ん中」(165)

*<祝・キリシタン祭>

 市町村や企業が飾り付けしたそれよりも、師走の風物になっているのが個人で成すクリスマスのイルミネーション。
 わが家の近くにも、大規模な電飾をして人目を引いている豪邸がある。それは、12月10日ごろから夜を彩り、どこからともなく若者たちが車でやってきて、周辺の生活道路は渋滞。明らかに<不法駐車>をしての見物。しかし、誰も不平を言わない。むしろ、一緒に楽しんでいるようだ。
 「3、4年前からセットしている。新聞やテレビの取材があって、人が集まるようになった。こうなると、ちゃちな事も出来ず、今年は隣家とタイアップして、一段とスケールアップ。皆さんが喜んで下されば何よりです。もう、来年の構想を練っている」
 その家のご主人は、誇らしくそう話していた。
質素な教会のイルミネーションよりも、個人のそれがクリスマスを演出し、盛り上げているのである。イエス様も、さぞかしお歓びのことだろう。

 今年も、名護久志では、12月24日「切支丹祭」が催された。別称「キリシタン小」「キリシタン帳」とも言われ、かつては各地でなされた。
 ものの本によれば、江戸幕府が施いた吉利支丹改めは、1609年の薩摩の琉球侵略以来、琉球国にも適応された。
 キリスト教の琉球への伝来については諸説あり、確かな経過は明らかではない。日本での禁止強化を察知して本土を避け、密かに琉球上陸を試みた宣教師もいたが、薩摩、琉球王府によって拒まれたようだ。後に、キリスト教は上陸するにはしたが、布教は困難を極め、定着しなかった。その最大の理由は、琉球人が古来から信仰として持ち合わせていた「先祖崇拝」であった。
「われわれは、代々の霊・先祖神をいただいている。あらためて西洋の神を崇めることはない」
この観念は、明治大正、昭和初期まで続き、現在も根強い。
「先祖神は、イエス・キリスト様より、上に位置している」
そう言い切る人もいるのである。

 キリシタン祭は薩摩入り後、毎年12月。その地域の役人が村人の氏名、年齢、身分、性別などを調べ、宗門札と称する木札にしるし<更>の字の焼印を押した後、各間切番所で一冊の調書にした。それは、薩摩藩庁に提出することになる。今でいう国勢調査にもなり、1868年まで続き、廃止された。
しかし、行事は形態を変えて残った。
 名護市久志では、前年の12月24日から今年の同日までに生まれた新生児の健康を祝う行事になっている。
 戦前は、新生児の一家が酒や馳走、金品を準備。村屋<むらやー。今の公民館>に村人を招待して、赤児の誕生と健康を祝ってもらった。また、戦後は学事奨励会の形をとった地域もある。

 名護市久志には今年、2人の子が生まれた。
「2人というのは、いかにも少ない。これも少子化傾向の波かもしれない。しかし、区外に住む出身者の家庭にも新生児はいる。呼びかけたら20人の子が集まった。わが区のキリシタン祭は、元来は誕生祝いと健康祈願の行事だが、今では区出身者の親睦会、忘年会にもなっている」
島袋庸雄区長は、そう語り「ずっと継続する行事」であることを強調していた。
聞くところによると東村平良、恩納村瀬良垣、石川市伊波・山城、嘉手納町、玉城村中山、糸満市喜屋武などでも「キリシタン祭」は催されていたそうだが、今年、成されたかどうかは確認していない。

わが家のクリスマスは、息子・娘が成人し、独立して以来、プレゼント用の赤い包装紙を見なくなって久しい。しかし、今年はいいクリスマスを過ごした。
沖縄カトリック小学校3年生と幼稚園生、さらに保育園児の孫らが主催するクリスマスパーティーへの手作り招待状が送られてきたからだ。爺はすぐさま、サンタクロースに変身。最高のクリスマスを満喫した。やはり、イエス様は偉大である。

さて、申年が暮れ酉年が明ける。
今年は、このHPをベースに「沖縄・話のはなし・浮世真ん中」82話301頁を1冊にして出版させていただいた。読者各位に感謝すると共に、酉年が各位にとって最良の年でありますよう祈念して、申年に別れを告げたい。



 次号は2005年1月6日発刊です!


2004年12月分
週刊上原直彦(165)<祝・キリシタン祭>
週刊上原直彦(164)<それは、親子ラジオに始まった>
週刊上原直彦(163)<人間模様・死亡広告>
週刊上原直彦(162)<風流・キリギリス談>
週刊上原直彦(161)<ハブの話・その2>  *前作<ハブの話・その1はこちら

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