毎週 木曜日発行!!  平成13年 11月1日創刊
 週刊 上原直彦 ニュース
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2004年 8月5日
連載 エッセイ
      「浮世真ん中」(145)

*<昼の音夜の音>

 「二、四、六、九、士、小の月」<にしむくさむらい しょうのつき>
 1年12ヶ月の内、2月4月6月9月、そして、11月は30日。ただし、2月だけは29日で小の月。1月3月5月7月8月10月12月は31日まであり、大の月である。
 小の月の<さむらい>は、十と一を合わせて<士>としたもので、うまい文字遊びをしたものだ。九十九才を「百」の字の上部を引いて「白」とし「白寿」と称したのも同様である。
 8月の大の月に入った。この28日が御迎え<うんけー>、29日は中ぬ日<なかぬふぃー。なかぬ ひー>、30日が御迎い<うーくい>。31日に御送いをする地域もある。陰暦は7月13日、14日、15日で旧盆。いわゆる「しちぐぁち=7月」でエイサーのときでなのだ。
 本来、先祖供養のための歌舞「念仏踊り=にんぶち うどぅい」であったが、歌の随所に入る「エイサー!エイサー!」の囃子ことばが表立って、いまや「エイサー」の呼称の方が通りよくなった。
 沖縄の夏は、昼も夜も音を待っている。
 昼はジャージャー<蝉のこと。あささぁ。さんさなぁなどの呼称もある>たちが、日の出とともに松、せんだん、くわでぃさー<ももたまな>など、木という木の枝や幹で、並みの目覚まし時計以上の音量で大合唱を始める。何の前触れもなく、民家の上を飛ぶ米軍や自衛隊の戦闘ジェット機の轟音をものともせず、ジャージャーたちは鳴くことをやめはしない。蝉は10年近く地中にいて、地上にいるのは1週間ほど。ジェット機ふぜいに負けているヒマはないのである。むしろ、抵抗、対抗するかのように日暮れまで鳴く。

 夜は夜でエイサーの音。
 各地の集落の公民館広場や遊び庭<あしび なぁ。村の守護神を祀り、恒例行事がなされる所>からは、11時ごろまで歌や踊り、太鼓の音が聞こえてくる。旧盆に向けての稽古である。「安眠妨害ッ」などと、ヤボを言う人はひとりもいない。それどころか、近隣の人は、仏壇に上がった肉親へ思いを馳せ、エイサーうたを口ずさみながら、快い眠りに入っていくのである。数年前、本土からの転勤者一家が、夜遅くまでの歌舞音曲に納得がいかず「自粛」を申し入れた。しかし、区長に「郷に入っては郷に従え」を説かれ、沖縄人にとって盆行事エイサーが、いかに精神文化と関わっているかを解説されて、いまでは、その子弟がエイサーに参加している実例がある。

 エイサーは主に、青年会を中心に行われる。もっとも、小学校、中学校生の「こどもエイサー」も盛んである。年齢は18才から30才を上限としているが、40才を数えても、青年会に止まっている若モノもいる。顧問、相談役、指導者、エイサー継承者。肩書きを持ってはいるものの、その実は、エイサーが好きで好きで無理に存在理由を捏造して、青年会を卒業しないでいるのである。
 エイサー構成は、所によって異なるが歌三絃方=3名〜5名。大太鼓方=5名〜6名。小太鼓方、若しくは、パーランクー<片面の小太鼓。タンバリン状>方=6名〜7名。露払い的役割でひょうきん踊りをする前立ち<めぇだち>=2名〜3名。あとは男女踊り手=20名〜30名が基本体。しかし、このところ、エイサーが全国的になったこともあって、格好よく目立つ太鼓方の希望者が多く、青年会幹部は配役に苦悩しているようだ。
 エイサーうたは、仲順流り、久高まんじゅう主、テンヨー節、前ん田節・さふえん節、取ったる金<とぅーたん かーにーとも言う>、すーりー東、唐船どーいなどを主とし、その時々の流行り唄をエイサーバージョンにして取り入れる。いちゅび小節、あやぐ、固み節、海やからなども、エイサー唄に組み入れられて、今に残った島うたたちである。今年は、ビギンの「島人ぬ宝」「オジー自慢のオリオンビール=県産ビールCMソング」などが、エイサー唄に昇格している。日出克の「ミルクムナリ」は、すでにエイサー唄になっている。

具志頭青年会の皆さん

 “七月になりば かわてぃ思びじゃすさ 慣りし故郷ぬ エイサー踊り”
東京在の琉球舞踊家志田房子女史にもらった「暑中見舞い」の中の琉歌である。
 「お盆が近くなると、エイサー踊りを楽しんだ故郷のあの辺りこの辺りが、ことさら思いしのばれる」
 彼女もお盆には、帰郷するにちがいない。エイサーの輪の中に入るために。


 次号は2004年8月12日発刊です!

2004年8月分
週刊上原直彦(148)<絆のとき・お盆>
週刊上原直彦(147)<蝶々に出会った>
週刊上原直彦(146)<怪談・見・た・なッ>
週刊上原直彦(145)<昼の音夜の音>

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