毎週 木曜日発行!!  平成13年 11月1日創刊
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 上原直彦
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2004年 3月25日
連載 エッセイ
      「浮世真ん中」(126)

*<有り難や・ありがたや>

昭和36年<1961年>。
琉球政府企画統計局は、前年、全琉一斉に行った国勢調査の結果を発表した。それによると、沖縄の総人口は88万1967人。男42万2461人。女45万9506人。全体的には、1955年の臨時国勢調査結果に比べ、約8万人の増。世帯数は20万8394戸。この増加は「ここ数年の景気上昇と結婚ブームによる」としている。
因みに、この年、琉球放送株式会社に入社した私の給料は36ドル。

日本の敗戦から16年。戦後処理が未だ成されず、占領軍による凶悪犯罪が頻発する中、アイゼンハワー米大統領の来沖を機に、政党、労働団体、民主団体など28団体によって「沖縄県祖国復帰協議会」が結成され、祖国復帰運動はいよいよ過熱したころ・・・・。

ラジオからは、浜口庫之助作詞。森一也採譜。浜口庫之助補作曲・編曲。守屋浩歌「有り難や節」が1日に3、4度は流れていた。
(金がないからくよくよし、女に振られては泣き、命が尽きたらあの世行き・・・・。戦後、人口が増えて、どこもかしこも人だらけ。しかし、空には天国地には地獄があり、行き場は選べる)
こんな内容で、各コーラス毎に「有り難や 有り難や」と、合唱する。なんとも陽気・・・ではあるが、つられてラジオと一緒に歌っていると、なぜか不安になってくる不思議な流行歌・・・・。
この歌の異常なまでの大ヒットにあやかったか「ありがたや教」なる教団まで生まれるにいたって、日本政府行政庁行政能率調査班は、流行歌に対する異例の分析を行った。
結果、世相は「ムラサキの色のムード」と結論した。「ムラサキは漠然として、しかも普遍的な色」と解説しているが、解説そのものが漠然としている。

沖縄では、新聞投書欄が「有り難や節論争」で連日賑わった。賛否両輪である。
支持派=庶民の生活実情をごく自然に歌っている。
      *意味不明なところもあるが、なんだか引きつけられる。
      *不安を吹き飛ばしてくれる。*有り難や有り難やと繰り返し
      唱えていると有り難くなり、気が晴れて何とかなりそうな気分
      になる。
反対派=勤労意欲を減退させる。*流行歌という名のもとに
      歌われていること自体が理解できない。*自暴自棄。
      頽廃かつ野獣的気分を誘発させる。
      *青少年の情操を著しく阻害する。放送局は、ただちに
      放送を禁止すべき。
とうとうホコ先は、ラジオ、テレビに向けられた。地元某ラジオ局は、
「音楽としての気品からして、好ましいとは思われない。この歌の放送を原則的に中止する」と、コメントして実施した。

この時代。
渡航証明証<パスポート>を取得しなければ、祖国の地にさえ行けない。行ったとしても、沖縄への<入国>が叶わない例もあった。殊に、復帰運動に関わった者は、渡航証明証そのものが発行されないのである。
若者の考え方も二派に分かれた。
長いものには巻かれろ。敗戦国ニッポンよりも、戦勝国アメリカにつこう。物呉いしどぅ我ぁ御主<むぬ くぃーしどぅ わぁ うしゅう=物資を呉れ、腹を満たしてくれる者こそが主人。主権者>とする穏健派。
祖国復帰を勝ち取ろう。民族解放。自主独立。ヤンキー・ゴーホームの行動派。いずれも、片羽のアーケージュー<とんぼ>であった。目標に向かって飛んではいるものの、片羽では方向が定まらず、あらぬ所に飛んでいく不安と危険を抱えた風吹ちアーケージュー<かじふち。秋口の台風発生時に生まれ飛ぶとんぼ>の態。

添田唖禅坊の昔から、キナ臭い時代には意味不明の歌や替え歌が流行する。現代の歌謡、音楽はどこを目指しているのだろうか。

過日。若い人たちと「有り難や節」のレコードを聞いた。「有り難や・・・」の繰り返しのフレーズを彼らは、二度聞いただけで、後は完璧に合唱することができた。
「歌は世につれ世は歌につれ」有り難いことだ。


 次号は2004年4月2日発刊です!

2004年3月分
週刊上原直彦(126)<有り難や・ありがたや>
週刊上原直彦(125)<柳緑花紅>
週刊上原直彦(124)<ホートゥ・ガラサー>
週刊上原直彦(123)<父のさんしん>

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