毎週 木曜日発行!!  平成13年 11月1日創刊
週刊
 上原直彦
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2003年 2月27日
連載 エッセイ
      「浮世真ん中」(70)

*<さんしんの周辺>

「カゼひかずにさんしんを弾こう」
石川市内の“さんしん工房”の看板に記された文句である。今年は正体不明の悪質なインフルエンザが流行し、大人子供問わず、大げさでなく命の危機にさらされた。同工房の主も、ただ、さんしんを製作、販売するだけでなく、琉球音楽を愛する人々の健康にまで気を配り「風邪をひくより、さんしんを弾こう」にしたのだろう。
「歌三絃する人なかいや やなッ人ぉ居らん=うたさんしん するちゅなかいや やなッちょお うらん=歌やさんしんをよくする人に悪人はいない」
同工房の主も、この古諺を地で行く職人で、きっと、よく鳴るさんしんを打っているにちがいない。イギリスにも同意の言葉がある。
「歌のある所に暮らせ。悪人は歌を歌わない」
 さんしんの周辺には、いい人たちが暮らしている。
平成9年10月9日。79才で没した風狂の歌者嘉手苅林昌は、7才から手にしたというさんしんをつくづくながめ、ポツリと言った。
「くりぬ無んてぇれぇ ちゃうしが生ちちょうたらやぁ=これ<さんしん>がなかったら、オレはどういきていたのだろうか・・・・」
言葉の裏には「さんしん無しでは、生きられない我が人生」が、まざまざとある。

3月4日「ゆかる日まさる日・さんしんの日」
この企画の担当プロデューサー、琉球放送iラジオ安仁屋聡制作部長は、一昨年、結婚、昨年暮れには長男匠クンをもうけた。彼がまず購入したのは<さんしん>。
かつて沖縄では、ニービチ<根引。結婚>出産、新築等々、慶事の記念には、さんしんを誂えて、床の間に置く習わしがあった。その一家の花、一家の守護神、縁起物としたのである。
興奮気味にさんしんを持ってきた安仁屋聡は言った。
「先輩ッ。弾き初めを頼みますッ」
「いやいや。それは私ではなく、名のある専門家にお願いしようではないか」
本気でそう勧める私に、彼は追い打ちをかける。
「先輩でなくてはいけないのですボクのさんしんはッ。<さんしんの日>を立ち上げたのは先輩であり、10回目からボクが引き継いだのですから、ぜひッ是非、先輩ッ弾き初めをッ」
嬉しくなって「かじゃでぃ風」を弾いた。そして、そのさんしんを「安仁屋開鐘=あにや けぇじょう」と名付けた。
開鐘とは、夜明けに撞く寺院の開静鐘<けぇじょう がに>のことで、静寂の中に鳴り渡る鐘の音になぞらえて、王府時代の名工真壁里主<まかび さとぅぬし>の手に成る、いわゆる「真壁型」の名器にのみ付けられた美称、尊称である。
安仁屋開鐘は、いささか安価で公けの場では披露を遠慮するが、この一丁に対する安仁屋聡の<想念>は、愛妻愛児、そして「さんしんの日」への深いそれであったとみれば、彼と私の間だけの名器「安仁屋開鐘」にしておきたいのである。

安仁屋聡の場合「嬉しいさんしん」であるが、一方には、悲しくも「切ないさんしん」もある。
那覇市のMさん所有のさんしん。
昭和15年。Mさんの父親が出征する際、祖父が<出征祝い>に打たせた一丁である。
「祖父は父に言ったそうですよ。必ず生きて帰って、このさんしんを弾けッ・・・。しかし、父は南方へ行ったまま帰ってきませんでした。私は父の顔すら覚えていません。父の帰りを待っていたこのさんしんは、戦火をしのぎ、こうして私の手にある。うまくはありませんが、大切に弾いているのですよ」
Mさんのさんしんは、今日も情愛に満ちた特別な音を響かせているにちがいない。

芸能のみならず、伝統は先人から我々が預かったもの。預かり物は返さなければならない。誰に返すのか。もちろん、次代へである。
3月4日は「さんしんの日」琉球放送iラジオ正午の時報音に合わせ、夜8時までの毎時、沖縄中のさんしんが名曲「かじゃでぃ風」を一斉に奏でる。

 次号は2003年3月6日発刊です!

2003年2月分
週刊上原直彦(70)<さんしんの周辺>
週刊上原直彦(69)<春を呼ぶ・さんしんの日>
週刊上原直彦(68)<客模様>
週刊上原直彦(67)<挨拶ことば>

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