毎週 木曜日発行!!    平成13年 11月1日創刊
週刊 上原 直彦  ニュース
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12月総集編

2月27日

連載 エッセイ
      「浮世真ん中」(9)

*師走雑感

出産祝いはもちろんのこと、十二年毎の生まれ年にする祝事。生年祝<年日祝=とぅし びぃ ゆうえー>がある。
語源は「年忌み」から出てい、生まれ年毎に厄を祓う命の祝事とされている。
かつては、十三祝いを<成人式>と位置づけ、また、二五才の祝いは、殊に未婚の女性は盛大に行った。その年頃までには大抵の女性が根引ち<にぃびち=結婚>するのが例で、未婚女性が生家でする祝事の最後だからである。
現在は七三才以上。八五才、八八才の米寿<斗掻き。トーカチ>九七才もしくは九九歳<白寿。カジマヤー>にしぼられ、六一才<還暦>は、まだ<若い>意識があって内祝いにとどめている。
過日。
役者北村三郎は、出身地北谷村松田家のウト婆さんの九七才の年日祝事宴の司会をした。祝宴前に本人に会って挨拶するとウト婆さんが言った。
 「汝ぁどぅやんな。密航し大和かい行じ、役者なたしぇ」<いゃあどぅ やんな。みっこうし やまとぅかい んじ やくしゃ なたしぇ=お前かい。密航して本土に渡り役者になったのは=>
北村三郎は、高校時代に演劇に目覚めた。映画で見た新国劇の辰巳柳太郎の剣さばき、島田正吾の重厚な演技に魅せられて家出。が、未成年の彼に簡単にパスポートが交付されるわけがない。意を決して那覇港で機を窺い、スキを見て東京―沖縄便の貨物船<東光丸>にもぐり込んだ。積み荷のカゲに息をひそめること一日半。東京港上陸。
 「新国劇はどこだツ」
必死に情報を集めながら、やっと公演中の新橋演舞場にたどり着いた。しかし、入場は果たしたものの楽屋のガードは固く、辰巳、島田に会うどころか、当然にして門前払い・・・・・・・。
都内を徘徊する内、浅草。そこで見たのが女剣劇「大路美智子一座」
 「新国劇も女剣劇も芝居は芝居ツ」
北村三郎の決断ははやく、一座入り。全国を廻って役者修行。帰郷後はRBC放送劇団<あやぐ>=沖縄口の集団=を経て大伸座<座長大宜見小太郎>。現在に至っている。
 「地味ながら味わい深い役者」の評価が高い。数々の映画、テレビ、ラジオに出演。現在、沖縄市で北村三郎芝居塾「ばん」を開設。後継者の育成に尽力している貴重な存在である。その北村三郎が・・・・・・。
師走のはじめの日。夜の国道58号線で年末取締りの検問にかかった。酒気もおびず、速度も道交法通り。ごく模範的な運転に自信があり、人に知られた<役者>ということもあって、ニッコリ言った。
 「ご苦労さん。北村三郎です」
ところが、相手が悪かった。若い巡査サンなのだ。芝居など見たことがなかったのだろう。
 「キタムラ・・サブロウ?何ソレ。とにかく、免許証を拝見」
事件は起きた。
彼は芸名北村三郎を名乗ったが、免許証には本名<高宮城実政>とある。しかも、写真は、帽子をかぶっていない実体の高宮城実政。運転席には、トレードマークである手製のハロー帽<GI用>の北村三郎。若い巡査サンは彼を知らない。テロを連想した。
 「なぜ偽名を使うのだツ。あやしいツ」
夜の国道での取り調べは二時間に及んだ。
後日の北村三郎談。
 「警察官は、もっと芝居を見てほしい。郷土の文化に目覚めよツ!」
んツ?帽子の下の状態?それは筆者の立場では明記できない。
↑北村三郎氏。舞台以外では大抵、ハロー帽を被っている。

次号は2002年1月3日発刊です!

12月分
週刊上原直彦(9)*師走雑感
週刊上原直彦(8)*粋に色ばなし
週刊上原直彦(7) *こうじん。こうじなぁ
週刊上原直彦(6) *粋人・宮城 嗣周

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