毎週 木曜日発行!!  平成13年 11月1日創刊
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 上原直彦
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10月31日
連載 エッセイ
      「浮世真ん中」(53)

*<褒める叱る>

子を育てる。弟子を育てる。後輩を育てる。
教え育てる作業には「褒める、叱る」は、つきものだが、褒め過ぎもどうかと思うし、叱りっぱなしも感心することではない。その兼ね合いがむつかしい。
*一回(ちゅけぇ)ん 叱(ぬ)らたらぁ 三回(みけぇ)ん褒(ふ)みり<一回しかったら、三回褒めよ>
*子(く)ぁ 褒(ふ)みてぃ 育(すだ)てぃり<子は褒めながら育てよ>
*一回(ちゅけぇ)ん 叱(ぬ)られぇ悟(さとぅ)いん。二回(たけぇ)(ぬら)れぇ曲(ま)がいん。十回(とぅけぇ)ん叱(ぬ)いねぇ 害(げ)ぇすん<一度叱れば悟る。二度叱ると性格が曲がる。十度しかると害を及ぼす。反抗する>昔びとは、うまいことを言ったものだ。

平成11年10月9日に逝った歌者嘉手苅林昌は、弟子の「私の歌三絃は、どうでしょうか。モノになりましょうか」の伺いに対して、即座に言葉を返している。
「昨日(ちぬぅ)やかねぇ マシどぉ=昨日よりは良い。マシになったッ」
こんな場合、心ない師匠は威厳を保つために、チンダミ<調弦>が甘い。拍子が不安定。押(うす)いチブ(三絃を弾く左手、指の抑えツボ。ポジション)がずれている。発生が鮮明でない。歌の解釈が<ああぁだッこうだッ>などと、教育的指導?をするのが普通である。しかし、注意事項ばかりを指摘されると弟子は、まぁ、個人差はあるだろうが「オレはダメだッ。師匠に見放されているッ」と、落ち込みかねない。そこへいくと「昨日やかねぇ マシやしぇ」は、
「そうかッ。昨日より進歩しているのだ。気張れば、明日はもっとマシになれるかもしれないッ」
と、希望の光を見出し、精進できる。
「昨日やかねぇ マシどぉ」
最高の褒め言葉に思えるがどうか。
これも、嘉手苅林昌がらみの話だが、平成9年11月9日。沖縄市民会館は、芸歴40周年記念公演「舞方(めぇかた)=松田弘一」で賑わっていた。ゲスト出演の嘉手苅林昌に司会の私は問うた。
「愛弟子松田弘一の歌唱はどうですか。上手(じょうじ)なとぉいびぃがやぁ=上手になっていますか」
嘉手苅林昌は、またぞろ即答。
「下手(ふぃた)ぁ あらんどぉッ=下手では決してないよッ」
松田弘一は泣いた。
「師匠に<上手>と褒められるよりも<下手では決してないッ>と、言われた方が<嘉手苅的褒め言葉>として、胸にしみる」
このことであった。
政界の派閥、芸能界の流派。属するそれの正統性、正当性を強調するあまり、他派他流を良くは言わない例を多く聞くことがある。日本人は、単一民族に近いせいか物事を上下、左右、裏表、白黒をハッキリさせないと思考できないようだ。これを名付けて「片付(かたじ)きるぅ精神=いずれかに片づける精神」と言う。
白の立場の者は、正反対の黒の良さを見つけ出して褒め、黒の者は白の本質にふれ、認めた上で対峙すれば、刃を向け合うこともないのではなかろうか。
しかし、褒めて人をダメにする場合もある。
一度の褒め言葉は、その人の励みになるが、二度の褒め言葉は、ありがた味が薄くなる。さらに追い打ちをかけた三度の褒め言葉は白けもするし、厭味に聞こえないこともない。褒め殺しがこれか。
 でもまぁ、自己主張、自己防衛のための刃を向けて切り合うよりも、褒め殺しの方が血を見ない分いいのかも知れないが・・・・。平和主義に過ぎるだろうか。
褒める。叱る。とかく、むつかしいことではある。女性をしてからがそうだ。
「褒めれば上がる。叱ればすねる。さりとて殺せば、化けて出る」

 次号は2002年11月7日発刊です!

10月分
週刊上原直彦(53)*<褒める叱る>
週刊上原直彦(52)*問い合わせはキャンパスへ。
週刊上原直彦(51)*ビッグアップル&バクダン池。
週刊上原直彦(50)*唱え・呪文。
週刊上原直彦(49)*秋が来た。

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