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毎週 木曜日発行!! 平成13年 11月1日創刊 | |
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2003年 12月25日 宮腰タマ子、大賀悦子、渡辺初美。いずれも沖縄出身の女性。 一家の仕事の都合で北海道は札幌に10年以上、暮らしている。5年前の10月末に、彼女たちの企画で「島うたライブ」を開催して以来、おたがいの情報交換を楽しんでいる。彼女たちが、天気や温度を話題にするとき、私は戸惑う。「プラス気温」とか、「マイナス気温」なる言葉が、息をするのと同じくらい自然に出てくるからだ。 沖縄に生まれ育って、いまに至っている私は、1桁温度をそうそう経験していない。真冬になって、気温が10度を切り、9、8度を記録すると、新聞はトップ記事で扱うし、ラジオ、テレビのキャスター、アナウンサーは、重大ニュースを伝えるかのような口調になる。 日本列島は南北に長い。昨日今日で20度前後。年が明けて2月ごろには、北海道と沖縄は、30度前後の温度差になる。私の周辺で最も温度が低いのは「冷蔵庫の中」。その事を彼女たちに告げると、 「北海道は外より、冷蔵庫の中が温かい」 ニッコリした返事であった。 暑さ寒さは「慣れ」なのだろう。長野県辰野町出身で琉球放送報道局次長小山康昭は、沖縄生活29年になるが、いまもって、12月から2月いっぱい「寒いッさむいッ」を口癖にしている。信州信濃は雪どころ。寒さには慣れているはずだが、彼は肩をすぼめて言う 「どこに居ても、寒いのはさむいッ」 冬の琉歌。 “掻ちあさいあさい埋火や起くち 霰降る夜や明かしかにてぃ” <かちあさいあさい うじゅんびやうくち アラリふるゆるや あかしかにてぃ> 歌意=火箸で掻きあさり、何度も火種を絶やさないようにしているものの、霰降る夜は、やはり、寒さで明かしかねる。 昔の沖縄の冬。どこの家庭でも竈や火鉢の灰の中に火種の炭火を埋めていた。「うじゅん火」である。 火鉢は雰囲気がある。昭和20年代少年だった私。1年で1番寒い2月になると丁度、旧正月を迎える。2004年は1月22日が沖縄正月<うちなぁ そぉぐぁち> そのころ、米軍民政府が建てた企画ハウスのわが家にも、オヤジ手製の火鉢があって、兄や姉たちと暖をとりながら、米軍の野戦用携帯缶詰CレーションやKレーションに入っていたクラッカーと戦火を受けながらも、すぐに実をつけた島ミカンをほうばりながら歓談した日々は、いまでも忘れてはいない。すきま風が暖恋しさに遠慮なく入ってくる家であったが、それを忘却させる火鉢の温もりだった。もっとも、そう懐古するのは、私が少年だったからで、大人たちは今日明日の糧を得るために心労していたにちがいない。 冬の火は、恋歌をも生む。 “起し火に坐してぃ焼くゆいんまさてぃ 振別りぬ夜や百ぬ苦りさ” <うくしびに ゐしてぃ やくゆいん まさてぃ ふやかりぬゆるや むむぬくりさ> 振別り=ふやかり。ふわかり。突然の別れ。思いもよらない別れ。 歌意=火を起こす火種の炭火の上に坐らされて、この身を焼かれる以上に、冬の夜の彼女との突然の別れは辛い。苦しい。 起し火は、埋火と同様。「苦しさ」は、ひとつでもくるしいのに愛する人との冷たい冬の夜の彼女との別れは百の苦しさを伴う。ふたりで過ごした時の中で確かめあった肌の温もりが、まだ実感として残っているからだろう。 「百=むむ」は、苦しさ切なさばかりを表すのではない。 *百果報=むむ かふう。むむ がふう。限りない幸せ。*百歳=むむ とぅし。ももとせ。年齢だけでなく、長い歳月。*百ぬ嬉りさ=むむぬうりさ。などなど。感情、事柄の最大を表す歌言葉として多用されている。 ・・・・とはいうものの・・・・。火鉢が生活の中から姿を消し、暖房、炬燵入らずの家屋に住んでいるせいか、時に歌謡詩を書いている私。寒さの歌が詠めなくなった。冬でも温かく過ごしてきたオツリで、心が冷たくなったのかも知れない。 ◇お礼。 未年のおつきあいニフェーデービタン<ありがとうございました>。申年もユタシク フィラティ クィミソーリ<よろしき交際して下さいますように> |
| 2003年12月分 |
| 週刊上原直彦(113)<ふぃーさぁー、ふぃーさ。寒さは寒さ> |
| 週刊上原直彦(112)<うちなぁ早口言葉> |
| 週刊上原直彦(111)<本名と筆名> |
| 週刊上原直彦(110)<試して・・・みる?> |